歌に秘められた愛を超えた関係!?項羽と虞美人、人気の理由

文化・歴史
引用元: 《楚汉传奇》李依晓剧照
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中国の英雄項羽のパートナーとして、有名な虞美人。その悲劇的な最期は、漢詩や司馬遷の史記にも残っています。美しく気高い女性であった虞美人は、武人の妻の鏡と評され、今なお多くの人々の心に、残っていますが、一体どういう女性だったのでしょうか?今回は虞美人の生涯と、項羽との愛を綴った歌を振り返りながら、二人の関係や彼女の人気の理由について、見ていきたいと思います。

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虞美人(虞姫)とは 

虞美人(ぐびじん、中国名:Yú Měi-rén)は虞姫(ぐき、中国名:Yú Ji)とも呼ばれる、中国秦王朝末から楚漢戦争期に生きた女性です。生まれは紀元前233年頃。正式な名前は不明ですが、姓が虞であること、また容姿が美しいこと(あるいは当時の役職等から)虞美人または虞姫と称されています。中国は始皇帝の死去後、各地で反乱軍が勃発。その勢力は徐々に拡大し、次第に楚の国と漢の国を中心に、争うようになりました。

虞美人は楚の国のリーダーであり、後に西楚の覇王と名乗った項羽(こうう、中国名:Xiang Yu)のパートナーです。二人の馴れ初めについては、司馬遷の史記にも漢書にも記載はありません。若き項羽が地方を放浪していた際に出会い、虞美人の美しさに一目惚れし、運命を共にするようになった、と言われています。

明代の通俗小説である「西漢通俗演義』では、会稽塗山の近隣にある村の老翁である虞一族が項羽を家に招き、その際娘の虞姫(虞美人)と出会ったことが馴れ初めとされています。虞美人は聡明で貞淑、子供の頃から書物を読んで大義に通じ、虞美人の母親が彼女を生む時、部屋で五羽の鳳凰が鳴く夢を見た為、将来偉大な貴人になると予感し大切に育てた、とされています。また兄弟が項羽の友であり、側近として描かれています。

項羽との関係

今から2300年前の当時、女性で名前やその存在が歴史に残るのは、皇后など格式の高い女性くらいでした。そのような時代に虞美人は、項羽が劉邦との戦の際、片時も離れることなく常に傍らに合った存在で、容姿的な美しさのみならず、参謀のように項羽を諫め、諫めを聞かなかった項羽を許し励ます、項羽の内なる何かを掻き立てる、項羽にとってとても大切で重要な女性であったことが予想されます。

そんな彼女は、項羽が劉邦との決戦で死を認識した際、項羽と共に死ぬ道を選びます。生き残る為に劉邦に従うように言って聞かせる項羽に対し、虞美人は自殺を願い出て、項羽の剣で最期の剣舞を披露した後、自ら命を断ち、嘆き悲しんだ項羽は、この壮絶な最期を歴史書に残すように命じたと言われています。また、一節では愛する項羽の手により命を立つ道を選んだとも言われています。

亡くなる直前、項羽と虞美人が交わした漢詩は、愛しい人に対する熱き思いと最期の決断に向けた、二人の心を通わす詩として、現代に伝わっています。項羽を男として英雄として掻き立て、自らの生死よりも、最愛の人にとって何か一番良いのか考えた挙げ句、死を選んだ虞美人は、誇り高く生きた項羽との関係を象徴するような生き様であったことが伺えます。

項羽との愛の歌

項羽と劉邦の最期の決戦(垓下の戦い)で、項羽の城の外から故郷、楚の国の歌が聞こえてきます。これを聞いた項羽は、劉邦の軍(漢の軍)が楚の国を占拠したと思い込んで絶望し、夜酒を飲みながら、虞美人に下記の歌を送ります。

力拔山兮氣蓋世 (力は山を抜き 気は世を蓋う)

時不利兮騅不逝 (時利あらずして 騅逝かず)

騅不逝兮可奈何 (騅の逝かざる 如何すべき)

虞兮虞兮奈若何 (虞や虞や 若を如何せん)

出典:— 垓下歌(垓下の歌)「史記」巻7項羽本紀 第7司馬遷、「漢書」巻31陳勝項羽傳第1班固

現代語訳は下記の通り。

私には山を引き抜く力と世を覆う気迫があった。

今時運を失い、愛馬騅も歩もうとしない。

前に進まぬ騅をどうしたものか。

虞よ虞よ。お前をどうしたらよいものか。

これに対する虞美人の返歌が、下記の詩です。

漢兵已略地, (漢兵、已に地を略し、)

四方楚歌聲。 (四方は楚の歌聲。)

大王意氣盡, (大王の意気は盡き、)

賤妾何聊生。 (賤妾、いずくんぞ生を聊んぜん。)

出典「楚漢春秋」

現代語訳は下記の通り。

漢の兵士は、既に楚の地を攻略し、

四方から、楚の歌が聞こえてきます。

大王(項羽)が、困っておられるというのに、

私がどうして生き延びておられましょうか。

一国の王であり武人である英雄が、どうにもならなくなった現実を前に、一人の女性の身の上を思い詩にする。項羽がどれだけ虞美人を深く思っていたのか、二人の関係に思いを馳せることのできる歌(漢詩)。現状を嘆き取り乱すことなく、毅然と振る舞い返歌を謳った後、項羽の剣で命を断った虞美人。二人がこの世に2つとない、相思相愛の男女であったことがこの歌から読み取れます。

人気の理由

残された歴史書を通して、現在我々は当時の状況がどうであったのか、戦の勝因や敗因は何で合ったのか、項羽と劉邦という二人の英雄の生き方から何を学ぶことができるのか、様々な研究者が分析して真実を読み解こうとしたり、二人のリーダーシップをどのようにビジネスで活かしていくべきか、様々な形で取り上げられています。それが、演義といった小説や、ドラマ・映画という形で、我々の時代に受け継がれています。

海外では「歴史を作るのは、いつの世の中も女性」と言われています。政治や戦いの現場で活躍した男たちに対し、女性達は時に男性が予測できないような決断や行動を起こし、自身よりも大きな目的の為に変化を受け入れ、強く生きる女性達がいます。自分の命よりも、項羽への愛を選んだ虞美人。愛する項羽が武人として、英雄として最期まで戦える勇気を与えた彼女の生き方に、心を打たれないはずがありません。

若くて勇猛果敢だった項羽が虞美人に向けた愛は、真摯的で情熱的。愛には様々な形がありますが、いつの世も真実の愛への憧れが、人々の心を擽っているのが、虞美人と項羽の人気の理由ではないかと思います。

まとめ

  • 虞美人(虞姫)は西楚の覇王項羽のパートナーで、自身の命よりも項羽への愛を貫いた。
  • 虞美人と項羽が交わした歌(漢詩)から、二人の関係と愛を読み取ることができす。
  • 虞美人人気の理由は、悲劇的な最期だけではなく、人々の真実の愛への憧れ。

北京京劇での虞美人の演題は大変人気で、項羽との関係や最期がやはり見せ場だそう。理由はその気高い生き方にあるようです。似たような最期を遂げた日本の細川ガラシャ夫人は、遠くヨーロッパへも伝わり、マリー・アントワネットなど欧州王室を感動させたと言われています。肉体は滅んでも、その魂と精神は永遠に。歴史はいつも我々に、人生の大切なことを教えてくれます。次は誰の人生を振り返りましょうか。

【補足】項羽と劉邦を題材にした、2012年の中国ドラマ「項羽と劉邦(原題:楚漢伝奇、King’s War)」があります。現在、日本での公式配信は行われていないようですが、今後に期待しましょう。

【補足】項羽に関する関連記事は下記の通り。合わせてご覧ください。

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