項羽と劉邦から学ぶ「社会性とリーダーシップ」①― 二人の関係と違いー

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中国戦国時代の二人の英雄、項羽と劉邦。この二人を取り上げた漫画やアニメ、歴史ドラマも多く、2000年前に生きたこの二人が、今なお私達の心に生きていることを表しています。負け知らずだった戦慄の貴公子項羽、地方の下級官僚で負け続けた中年劉邦。歴史上勝者となったのは劉邦。二人の運命を分けた違いは、一体何だったのでしょうか?

項羽と劉邦の他者に対する対応や関係性から、リーダーに必要な社会性やその心得について、二回に分けて見ていきたいと思います。今回は、項羽と劉邦の人生について振り返っていきます。

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二人の英雄―項羽と劉邦―

中国を初めて統一した秦国の始皇帝。建国15年後の紀元前210年に急死後、一部の官僚による刑罰や重い税金で、中国国内各地で反乱が勃発。この中で登場したのが、項羽と劉邦です。

項羽とは

項羽(こうう)中国名:Xiàng Yǔは紀元前232年生まれ。当時、秦国の他に6つの大国(斉 · 楚 · 燕 · 韓 · 魏 · 趙)がありました。項羽は秦に滅ぼされた楚の国(現在の湖北省・湖南省付近)の将軍家の出自。家柄の良い貴公子です。身長が190cm近くある身体の大きい武将で、反乱を起こした際には自ら相手を斬り殺し、十数名をたった1人で倒すような英雄でした。司馬遷の史記によると、項羽は文字にあまり興味がなく、兵法も概要を知っただけで追求しなかった、と記しています。

戦いに強かった項羽を人々は尊敬し、項羽がいるから安心できる、人々にとって憧れの存在でした。秦を滅ぼしたあと18国の統治体制を作り、項羽は戦功のあった者に恩賞を与えます。劉邦と天下を争い(楚漢戦争、彭城の戦い、垓下の戦いなど)、当初は圧倒的に優勢でしたが、次第に劣勢となる中、故郷楚の国の歌が四方から聞こえてきたのを聞き、楚の国が劉邦の手に落ちたと悟り、嘆き悲しみ、やがて戦死します。四面楚歌(敵や反対するものに囲まれて孤立する状態)はこの時生まれた言葉。

死の間際、想い人である虞姫(ぐき)こと虞美人の処遇について詠んだ漢詩「垓下の歌」は後世に語り継がれる歌です。項羽に愛された虞姫は死を選び、その後に咲いた赤い花が虞美人草の名前の由来とされるほどに。虞姫は、優れた知識と高い教養をもった、貞淑な女性として、武人の妻の鏡とされた女性です。中国京劇でも度々演じられています。項羽の女性に関する史実は虞姫以外なく、項羽が虞姫一筋に思っていたことが伺えます。

劉邦とは

劉邦(りゅうほう)中国名:Liú Bāng。生まれた年は諸説あり、紀元前256年あるいは前247年と言われています。中国沛県(現在の江蘇省付近)の出身。劉邦は貧しい庶民の家の出身。秦国への反乱が起こる前までは、任侠のような生活を送り、地方の貧しい下級官職でした。剣術が強いわけではなく、知識や教養が高いわけでもない、お酒と女性が好きな中年のおじさんでしたが、遊び人なりに多くの人から好かれていた、と言います。

劉邦には武勇の逸話は残っておらず、何度も戦さで負けて逃げています。ある日、40代半ばで県令長官(警察の地方署長のような役職)に着任していた劉邦は、任務で働き盛りの男性を集めて秦の都に向かう際、過酷な労働と刑罰を恐れた多くの人々が道中脱走したことで、劉邦は反乱軍に加わることを決意。これは、引率者の自分の責任になり処罰されると思った為で、要は劉邦は逃げたのです。

結果として、一反乱軍の長となった劉邦。反乱軍の数は数千に膨れ上がりましたが、戦い方を知らず苦戦します。そんな中、楚の国の反乱軍のリーダーである項梁の勢力下に入り、項梁の甥である項羽の軍勢と一緒に戦い、秦の軍勢を打ち負かしていきました。つまり劉邦と項羽は、元々同僚。ここから、二人の道が分かれていきます。

項梁の死後、「西楚の覇王」を名乗った項羽は、秦国の王一族を皆殺しにして咸陽を焼き払い、劉邦を辺境の地へ追いやり、楚王を暗殺。このことにより、劉邦は項羽に対する反乱軍を立ち上げ、楚漢戦争により項羽に勝利。多くの人々からの支持を得て、漢の国(前漢)の初代皇帝となります。

劉邦の妻、呂雉(りょち)は、酒の席でのハッタリが原因で、呂雉の父親のから指示される形で劉邦と結婚。若い頃は貧しい中で子供達を育て、劉邦を支えてきた女性ですが、劉邦が皇帝になり自身も皇后になると、信じられないような悪行を重ね、中国三大悪女の一人として歴史に名を残した女性。権力が人を変えた例として、例えられています。

項羽と劉邦を題材にしたドラマ

項羽と劉邦を題材にした2012年の中国ドラマ「項羽と劉邦(原題:楚漢伝奇、King’s War)」は、全80話、制作費35億円投じた、大ヒットドラマとなりました。現在、日本での公式配信は行われていないようですが、今後に期待していきたいですね。

まとめ

  • 項羽は家柄の良い武将出身。武勇伝多数。妻への愛一筋。
  • 劉邦は貧しい庶民出身。武勇伝なし。人から好かれる遊び人。正妻は中国三大悪女。
  • 二人は同じ目的に対して戦う、仲間関係であった。違いは自分が主体か、相手が主体か。

もし婚活している女性に、どちらかの男性を選べといえば、項羽を選ぶ人が多いのではないでしょうか?若く活力のみなぎる男性と、定職にもなかなかつかず、遊んでばかり、いざとなれば逃げる男性。項羽と劉邦の違いを挙げるとキリがありませんが、共通点は二人共多くの人を束ねるリーダーであったということ。二人の戦いで勝利を治めたのは劉邦。部下や仲間との関係性、人々をどのように扱うのか、自分がどう社会で振る舞うべきなのか、こういった根幹が大きく違うのではないでしょうか?第2号へ続く。

【補足】歴史関連の記事は下記の通り。合わせてご覧下さい。

項羽と劉邦から学ぶ「社会性とリーダーシップ」②― 二人の関係と違いー
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