始皇帝・荊軻・麗姫は映画やドラマのように実在した?荊軻の暗殺未遂は史実。

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始皇帝と麗姫、また始皇帝を暗殺未遂に追い込んだ荊軻など、始皇帝を題材にした映画やドラマが多く公開されています。始皇帝は、中国全土を初めて統一した皇帝として実在する人物ですが、その人生については謎が多いことでも知られています。ドラマに登場する麗姫や荊軻は実在の人物なのか、荊軻の暗殺未遂は本当に史実にあったのか?今回は始皇帝と彼を取り巻く歴史上の人物たちについて、みていきたいと思います。

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始皇帝とは

始皇帝(しこうてい)は中国全土を初めて統一した、秦という国の実在した皇帝です。秦は元々現在の中国でいう大陸の西側に位置していた国。史実に基づくと、在位は紀元前221年 – 紀元前210年。紀元前259年生まれで、亡くなるまで在位しています。ドラマや映画で、始皇帝のことを中国語で「イン・ジャン」と呼んでいますが、姓「嬴(イン)」と諱「政(ジャン)」から来るものです。諱は名前と同じような意味。

始皇帝は何をした人?

始皇帝は法律で国を治める、現代でいう法治国家を作り上げた初めての皇帝です。法律の厳格な運用を秦国、また統一した中国全土に徹底させ、中央政権が派遣する官僚が各地方統一をすることで、現代でいう官僚統治制度を確立。また、国の貨幣を統一することで、物の価値の正当性を行ったり、経済の発展と安定化を図ったことも偉業です。

今でこそ貨幣は当たり前ですが、貨幣がない当時、物の価値が不安定で経済も安定せず、犯罪が横行していたのを法律で取り締まるように定めた始皇帝は、国の基盤や仕組みを整えた最初の皇帝として、歴史的にその功績を評価されています。また、中国は歴史上長きに渡り、モンゴルのような北方民族からの侵略に悩まされてきました。この為、北方の要塞の要として万里の長城の建設を指示した人物としても知られています。

晩年、地方を巡業中に亡くなったとされます。生前、自身の墓に兵馬俑(へいばいよう)を作らせ、それが中国の陝西省に現在も残っています。兵馬俑は兵士や馬の形をした人形で、実物をみるととても大きく、人の顔の表情や身体つき、服装に至るまで細部にこだわったものが、数え切れないほど、また広大な範囲に残っており、始皇帝の権力の大きさを感じずにはいられません。

ただ一方で、残虐非道な暴君としても知られています。それは、天下統一までの過程で多くの人命が失われたこと、万里の長城や兵馬俑を作るために、税金や重労働を課したことに対する強い不満からくるものなどが主に挙げられますが、彼以上の大きな事業を成した中国の皇帝は、歴史上いるのでしょうか?

始皇帝の若い頃

さて始皇帝の出生に纏わるエピソードは、映画やドラマで取り上げられるように色々あり、史実でははっきりしない点が多いです。歴史家「司馬遷」の史記によると、始皇帝の父親は当時商人であった呂不韋で、その愛人趙姫が母親ではないか、と言われています。呂不韋は、趙姫を秦国の公子に献上していることから、幼いころの始皇帝が公子の親族として扱われ、人質としての生活を送り、若くして即位した際、呂不韋が補佐として権力を振るった、ということに繋がっていきます。

荊軻とは

荊軻(けいか)中国語:Jing Keは、中国戦国時代末期に実在した人物で、始皇帝を暗殺しようとしましたが未遂に終わり、殺された刺客です。荊軻は元々諸国放浪の旅をした後、官僚を目指していた若者で、本や剣術を好み、各地の賢人や豪傑たちと幅広い交友関係を築いていた、と言われています。やがて当地の実力者の田光に招かれます。

紀元前233年頃、燕の国の太子、丹が人質になっていた秦から逃げ帰ってきます。秦の始皇帝と子供の頃から仲良しだった丹ですが、次第に始皇帝を剃りが合わなくなり恨むように。そのことを田光に相談した際、荊軻を推薦したのが、刺客計画の発端と言われています。

刺客の依頼を受けた荊軻は、用心深い始皇帝に謁見するための策を立てます。その策とは、燕でも最も肥沃な土地である督亢(とくごう:現在の河北省)を差し出すこと。もう一つが、もとは秦の元将軍でしたが、始皇帝の怒りに触れ一族を処刑され、燕へ逃亡してきた樊於期(はんおき)の首を差し出すこと、でした。しかしながら、荊軻の暗殺計画は失敗に終わり、燕の国も秦に滅ぼされてしまいます。

中国の歴史家司馬遷は「刺客列伝」の最後で、夏無且と付き合いのあった公孫弘や董仲舒からこの事件の話を聞き、「荊軻の暗殺は成功しなかったものの、その意思と志の高さにより名を残した」と評価しています。また詩人の陶潜は「詠荊軻」という詩の中で「すでに荊軻は死んだがその思いは残っている」と謳っています。荊軻が個人的な恨みにより始皇帝を暗殺計画を立てたという史実はなく、国を憂い傍若無人な行為を諌め、世の改善を目的とした交渉したかった、という説もあります。

麗姫は実在したのか?

始皇帝には何人もの妻がいた、とされています。当時の女性は身分が低く、女性で名前が残るというのは、大変珍しいこと。中国全土を統一した始皇帝に、各国の権力者達は自身の娘や身内を、献上したといわれています。それは人質でもあり、権力維持や領地安泰の為の策略であったかもしれません。息子や娘たちは20人以上いた、とされています。

結論から言うと、麗姫(れいき)中国名:Li jiに関する史実は残っていないため、実在した人物かどうかは不明です。当時、身分の高い後宮の女性は「姫」「夫人」をつけた呼称で呼ばれていました。ドラマの中で登場する麗姫の姓は「公孫」で、一つの一族ではなく各地に「公孫」家があり、身分の高い家柄であったようです。麗姫の祖父は中国戦国時代の将軍がモデルのようですが、その孫が始皇帝の妻になるという史実は残っていません。

ただ、始皇帝の息子には史実で出自不明の男子がいます。ドラマや映画では、こういった部分に新しい視点を加えて、ストーリーを展開しているようです。始皇帝の急死後、秦国は建国わずか15年で滅亡しますが、もし長く続いていたら実在する人物がいろいろいたのかもしれませんね。

まとめ

  • 始皇帝(しこうてい)は中国全土を初めて統一した、秦国の実在の皇帝。
  • 荊軻は実在の人物で、史実にあるように始皇帝を暗殺しようとした(未遂に終わる)
  • 麗姫が実在したかどうかは不明。

未遂に終わった始皇帝暗殺。仮に成功したとしても、無事に帰還できないことを荊軻は承知していたはずです。荊軻をそこまで駆り立てたものは、一体何だったのでしょうか?残虐非道と言われながらも、国造りの礎を築くような才覚やリーダーシップがあった始皇帝の人としての心内はどのようなものだったのでしょうか?麗姫自身は実在しなくとも、彼女のような想い人がいても不思議ではないように感じます。

今日、様々なドラマや映画で取り上げられている始皇帝と彼を取り巻く人々。史実により確認することができませんが、2000年以上前の人々も現代の私達も、地球の歴史を作っていることに違いはありません。始皇帝を題材にしたドラマ、興味があれば目を通してみると面白いかもしれませんね。

始皇帝を題材にしたドラマ

■麗姫と始皇帝 ~月下の誓い~(原題:秦時麗人明月心)

■始皇帝 天下統一(原題:大秦賦)2022年4月時点でWOWOWにて放送

■キングダム:2019年公開邦画

【補足】歴史関連の他の記事は下記の通り。合わせてご覧ください。

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