千里を駆け巡る志。赤壁の戦いで残した、曹操の詩。【三国志】

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中国三国時代の英雄の一人、魏の曹操。戦略的な覇者として知られる曹操は、赤壁の戦いでは敗退し、悪役のイメージがありますが、史実では、武人として名高いだけではなく、文才に長けた人物でもあったと言われ、いつくかの詩を残しています。千里を駆け巡る高い志を持っていた曹操、いったいどんな人物だったのでしょうか?今回は三国志の英雄、曹操の詩を通し、彼の人生と人柄について、振り返っていきたいと想います。

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曹操とは

曹操(そうそう 中国名: Caocao)は、155年生―220年没、中国三国時代を生きた人物。字は孟徳(もうとく)。沛国譙県(現在の安徽省、上海の隣)で生まれた、 漢王朝後期の政治家、軍事家、文学家、そして三国時代の「魏」政権の創設者。三国志では悪役としてのイメージが定着していますが、史実では文武両道に優れた人物で、劉備、孫権、諸葛孔明など、後漢末の群雄の中で最もスケールの高い存在です。

近年人気者の曹操

史実での優れた人物像とは違い、曹操は「奸雄(かんゆう)」としての評価が定着しています。奸雄とは悪知恵を働かせて英雄となった人、という意味。そう言われるようになった理由は2つ。一つは、「漢王朝の首相であった曹操が、主を裏切った」ことに由来します。もう一つは、曹操の残忍さ。

曹操は父を殺された恨みから193年秋、50万もの大軍で徐州に侵攻、十数城を奪い、数万人を殺害。戦に勝利しましたが、通過した地域でも多くの人を殺害。死体のため川の流れがせき止められた、と言われています。

しかし、その一方で、曹操は才能のある人材を積極的に登用、軍閥を抑制し、中央集権を強化。さらに、屯田制と呼ばれる農政、水利プロジェクトの構築により、黄河流域の経済は徐々に回復し、階級の抑圧はわずかに軽減され、社会的雰囲気が改善されるなど、優れた政治家であったことが記されています。近代の中国においては、多くの知識人によって曹操を悪者とすることを見直し、再評価され、曹操の人気が高まっています。

曹操の詩

曹操は、非常に高いレベルの文学の業績を上げています。彼の残した詩は、当時の出来事や彼の荘厳な理想と広い視野を反映しています。 ここでは有名な「短歌行」と「歩出夏門行」を見ていきます。

詩① 短歌行(たんかこう)―赤壁の戦いの前夜―

對酒當歌 人生幾何 

譬如朝露 去日苦多 

慨當以慷 幽思難忘 

何以解憂 惟有杜康

<現代語訳>

酒を前にしたら大いに歌うべきだ。人生がどれほどのものだと言うのか。

朝露のようにはかないものだ。過ぎ去っていく日々は、あまりに多い。

気分が高ぶって、いやが上にも憤り嘆く声は大きくなっていく。だが沈んだ思いは忘れることができない。

どうやって憂いを消そうか。ただ酒を呑むしかないではないか。

出典:短歌行 曹操(たんかこう そうそう)

赤壁の戦いの前夜、揚子江を挟み孫権・劉備連合軍と対峙している時、宴会を開いて歌ったと言われる詩が、この短歌行。大きな戦いを前に、気持ちが高ぶる様子が伺えます。

詩② 歩出夏門行(ほしゅつかもんこう)―志は千里を駆け巡る―

神龜雖壽 猶有竟時

騰蛇乘霧 終爲土灰

老驥伏櫪 志在千里

烈士暮年 壯心不已

盈縮之期 不但在天

養怡之福 可得永年

幸甚至哉 歌以詠志

<現代語訳>

伝説上の亀は、きわめて長寿であるというが、それでも命に終わりはある。

竜は霧に乗って舞い上がるというが、最後は土くれになってしまう。

しかし千里を駆ける駿馬は、たとえ老いて馬屋にあっても、志は千里を駆け巡っている。

男児たるもの、年老いたからといって、熱い気持ちを止められるものではないのだ。

寿命の長い短いは、ただ天のみが決めるわけではない。

みずから楽しみ幸福であるように心がければ、長寿を得るだろう。

なんという幸いの極みか。歌って、志を詠じよう

出典:歩出夏門行 曹操(ほしゅつかもんこう そうそう)

誰でも年を取り、老いていくものですが、いつまでも志を絶やさず、自らの運命を切り開いていく曹操の思いが読み取れる詩です。「烈士暮年 壯心不已 (れっしぼねん そうしんやまず)/ lièshì mùnián zhuàngxīn bùyǐ:志高き男は年をとっても熱い気持ちを止められない」カッコいいですね。

まとめ

  • 史実での曹操は、三国時代「魏」政権の創設者、優れた政治家、軍事家、文学家。
  • 曹操の残した詩①:赤壁の戦い前夜に読んだ、短歌行。
  • 曹操の残した詩②:千里の志を謳う、歩出夏門行。

千里の志を貫いた曹操。赤壁の戦いでは破れましたが、史実での彼の偉業は、軍人、政治家、また詩を通しての文学からも垣間見えます。そんな曹操の墓と遺骨らしき物が、2009年に発見されて10数年。2019年に河南省文物考古研究院は、遺骨はほぼ間違いなく曹操である、と発表しました。墓の遺跡は中国河南省安陽にあり、大量の石碑や「魏武王」という言葉が刻まれた石などが発見され、詳しい調査が進められています。中国への海外旅行の際、こういった歴史を訪ねる旅も、面白いかもしれませんね。

参考出典:https://www.arachina.com/attrations/sanguo/renwu/cc.htm

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