中国戦国時代の二人の英雄、項羽と劉邦。この二人を取り上げた漫画やアニメ、歴史ドラマも多く、2000年前に生きたこの二人が、今なお私達の心に生きていることを表しています。負け知らずだった戦慄の貴公子項羽、地方の下級官僚で負け続けた中年劉邦。歴史上勝者となったのは劉邦。二人の運命を分けた違いは、一体何だったのでしょうか?
項羽と劉邦の他者に対する対応や関係性から、リーダーに必要な社会性やその心得について振り返る二回目。今回は項羽と劉邦がどのように人を取り扱うのか、その違いと対人関係について、見ていきたいと思います。前回の記事は下記の通り。
何が重要?項羽と劉邦から学ぶ「社会性とリーダーシップ」①― 二人の関係と違いー
相手への対応と関係性 ー項羽編ー
功績に対する考え
現代の我々は組織に大きな貢献をするとボーナスや賞与といった形で、褒美がもらえます。中国戦国時代も同じで、項羽は功績のあった人には褒美を与えました。ただ、褒美をもらえなかった人たちは、項羽陣営から離れていきました。それは手柄を立てなかったからですが、彼らが無能だったということとは違います。例えば、会計士が戦場で功績を挙げるのは難しいですし、優れた戦略を持つ人が食事係では、手柄をたてられません。人にはそれぞれ得意不得意があり、適材適所の配置が必要不可欠な為です。
また、項羽軍の兵隊全員の力があって勝利に導いたのですから、兵士全員に食事や衣類、金銭を渡す、休息を取らせるなどの対応が必要でしたが、項羽はこういった点への配慮が十分ではなかった、と言われています。まさに「腹が減っては戦ができぬ」です。
人材配置
中国戦国時代の歴史的武将(彭越、英布、陳平、韓信)たちは、元々項羽軍にいましたが、そこを去り劉邦軍へ入ります。項羽が認めてくれなかったものを、劉邦が認めて伸ばしてくれたから、と言われています。適材適所は、本人の能力やスキル、リーダーの意向の他に、人の心理を理解しうまく使うことが求められます。また、戦の名将が、政治に強いとは限りません。
デキる人は、自身で対処できることが多く、他人を頼らない傾向があります。自分ができること=他人も自分のようにできるはず、自分ができないこと=他人もできないはず、と考えがちです。ここは劉邦との大きな違い。
人との関係性
秦国に祖国を侵略されたことから、恨みの感情は強かった項羽。しかし、元々家柄の良いサラブレットだった項羽は、庶民の立場や気持ちに思いを馳せたり、貧しい暮らしや人から適切に扱われないことに対する怒り、悲しみとは疎遠な環境でした。自分の言葉・態度・行動が、人間関係にどのような影響を与え、どんな事態になっていくのか、その育ちの良さ故に、わからなかったのかもしれません。
自分と接点がある部下や友人、あるいは野心の先にある上の人には礼を尽くし、自身の体裁を保つために「西楚の覇王」と名乗ったように、タイトル(役職)にこだわる。項羽の人との人間関係は、自分優先に基づいていたと考えられます。項羽の女性関係については、虞姫(虞美人)のみ。好き嫌いがはっきりしていて、特定の人物と深く交流し人間関係を構築する気質でした。
相手への対応と関係性 ー劉邦編ー
功績に対する考え
功績があったものに褒美を与えたのは、劉邦も同じです。人には承認欲求があります。劉邦は人の言葉や話に耳を傾け、大げさすぎるくらいに相手を褒めて高く評価する人でした。自分の話ではなく相手の話を優先した、ということです。自分と相手を比較して優劣をつけるのではなく、自分と相手の違いを見出して認めたのが劉邦。
人材配置
人は話を聞いてくれる人、自分を見て認めてくれる人に対し、自分の特技や自分が知っている知識や情報を駆使して、相手の役に立ちたいと思うものです。何でも話してくる相手の話から、自然にその人の強みを知ることができます。自分がこうしてほしいという意思で相手を動かすのではなく、相手のやる気をうまく使ってどんどん動いてもらうやり方です。ただ、このやり方はいつも良いわけではありません。
本人の能力と本人のやりたいことが、常に一致しているわけではなく、またリーダーはグループ全体の大いなる目標の為に、意にそぐわなくてもやってほしいこともあります。劉邦は双方の需要と供給を、うまく扱うことができる人物だったということです。相手が何を求めているのか。遊び人劉邦は、その人間関係から自然に体得していたのかもしれません。
人との関係性
劉邦は身分の上下にかかわらず、人間関係を大切にしていました。酒を酌み交わし、一緒に遊び、女性と楽しい時間を過ごす。人と一緒に過ごすということは、上辺だけの人間関係では成り立ちません。時には本音もあり、嘘もあり、ごまかしややましさもあります。それを受け止められる大きさが、劉邦にはあったのでしょう。女性関係では、妻呂雉に多大な負担をかけることに。
後に皇后となった際、長年耐えてきた劉邦と妻呂雉の負の部分(例えば、項羽軍での絶望的な人質牢獄生活、家庭を顧みず愛人を次々作る裏切り、嫁姑など複雑な家族関係)が、呂雉を中国三大悪女の一人とさせ、劉邦死後の前漢王朝を急速に失墜させていきます。劉邦のリーダーシップとは直接的な関係はありませんが、彼のリーダーリップが息子や次の世代に受け継がれない、ということになります。項羽とはかなり大きな違いの一つです。
一方、劉邦を好きな人が増えるということは、自分の味方が増えるということ。劉邦の為に働き、命をかけ、一緒にいる人が増えるということです。劉邦が皇帝となり、このような関係性が以前と同じようにされていたかといえば、話は別ですが、人は古き良き日を忘れないものです。
リーダーに必要な社会性や心得とは?ー項羽と劉邦のちがいー
野心が強く、自身の名声を求めるのが悪いわけではありません。とかく血気盛んな若者は、心根と行動がまっすぐで、年令を重ねると共に生きていくための知恵を得るようになるものです。強いリーダーに惹かれて憧れを抱き、それを追いかけるように努力する者にとって、強いリーダーはロールモデルであり、夢を与えてくれる存在でもあります。
リーダー自身が常に努力をして、自身の知識や能力を常に高めようとしている。項羽はそういったタイプのリーダーだったのでしょう。もしかしたら劉邦も同じように心に野心を抱いていて、それをわからないように心を隠していたのかもしれません。なにせ劉邦は項羽よりも20歳近くも人生経験が多いのですから。
劉邦は自身が動くのではなく、自分の考えを他人が動いて実現させることに、自分に自信とプライドを持っていたのでしょう。人の心理をうまく活用し、寛大だったと言われる劉邦。ただ人の良さは悪い連中から利用されたり、裏切られる傾向があるので、時代が違えば劉邦の天下はなかったかもしれませんね。
まとめ
- 項羽は庶民への配慮や適切な人材配置が不十分であったが、個人のもつ能力が高かった為、人に勇気や希望を与えて導く将軍として、ロールモデル的存在だった。
- 劉邦は個人の能力は高くなかったが、庶民の現実を理解し、適切な人材配置により部下が動くことによって自分の考えを実現させるのが得意であった。
二人は互いに違うタイプのリーダーです。歴史上劉邦が勝利を治め、皇帝となりますが、若かりし頃は誰もが失敗をし、大切なものを失い、そこから学び立ち直り、人生をまた歩んでゆくもの。項羽は自決の道を選びましたが、司馬遷の史記で記される項羽の英雄らしい最期や誇り、虞姫との漢詩が語り継がれる現在、項羽と劉邦は、勝ち負けではなく、自分の運命に従っていきたのだ、と改めて感じます。
常に孤独なリーダーにとって、信頼できる友や部下をもつことは生命線。痛いことを本音で率直に言い合える仲間、仕事や人生を共に歩む仲間がいれば、屈辱や困難をも乗り越えることができる。技術が発達し、コミュニケーションの取り方、リーダーシップに対する考えが多様化する今日、いつの時代も、人が一番大切なのだと、改めて感じます。
【補足】歴史関連の他の記事は下記の通り。合わせてご覧ください。
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